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美濃路散策

2022/03/25 コラム

美濃路散策

 

美濃路は、江戸時代に東海道宮の宿(熱田区)と中山道垂井宿(岐阜県垂井町)をつないだ道で、東海道から分かれて美濃へ向かう街道なので、「美濃路」あるいは「美濃街道」と呼ばれ、全長が約58.7kmです。そのうち一部が名古屋西区内を通っており、現在、住んでいる近くの約3キロメートル区間の下記案内図が西区ホームページに掲載されています。

 

今回、美濃路の散策した区間は下図のとおりで、散策した様子は、案内図での右側から紹介させていただきます。

美濃路散策区間案内図

 

①宝周寺(ほうしゅうじ)の高木門と呼ばれる山門は、文化11年(1814)建立といわれています。

宝周寺は浄土宗で、本尊は木造阿弥陀如来坐像(伝恵心僧都作)です。過去には大火で焼失したりして、現在に至っているようです。

宝周寺のすぐ右隣には②林貞寺がありますが、現在、修復工事中であり、今回の紹介からは割愛させていただきました。

宝周寺の山門

 

③海福寺(かいふくじ)は、寛永14年(1637)、王峰山海福寺として創建されています。かつて藩祖義直が美濃路を通って鷹狩りに行き、その道中に、当寺で小憩したといわれています。

海福寺近くから④白山神社方向を望んだ美濃路の風景は、下記の写真のとおりで、撮影時が日曜日の午前中であることからか、静かな住宅街として映っています。

海福寺の山門

 

美濃路風景

 

 

④白山神社(はくさんじんじゃ)は、榎権現の名で地域に親しまれているようです。

本神社は、織田信長が永禄3年(1560)の桶狭間合戦の時、勝利祈願に太刀一口を寄贈したといわれており、藩政時代には美濃路を通る諸大名が必ず参拝したといわれています。また、

白山神社の前は、「立て場」といわれる人夫が杖を立てて休憩する所で、旅人のために茶店等が設けられていました。

白山神社の正面

 

白山神社の鳥居

 

⑤八坂神社(やさかじんじゃ)は、元禄15年(1702)に現在地に遷宮されました。

祭礼として長寿延命と豊作祈願の「提灯祭り」あり、毎年5月の第3土、日曜日に行われます。なかでも初日の夕方には高さ

20mの竿に5段にわたって提灯をつるした「山竿提灯」が壮観のようです。

八坂神社の正面

 

八坂神社から国道22号線を横断すると、庄内用水(通称 惣兵衛川)が流れています。

庄内用水は、名古屋市守山区から北区・西区などを通り港区まで流れ、400年ほど前に開削された約28kmの農業用水ですが、

4月から11月までの庄内川からの取水時は水が流れていますが、農閑期の冬期には下の写真のように水は流れていません。

4月初旬には、用水左右岸の桜が満開となり花見ができます。

枇杷島スポーツセンター方向の庄内用水風景

 

 

⑥八幡社(はちまんしゃ)の創建は、享禄2年(1529)で、元来はもっと北の方にあったが、慶長17年(1612)に現在地に御遷座されました。

古来は「鷹八幡」(たかはちまん)と通称されていたようです。藩祖義直以来、歴代藩主の崇敬も厚かったいわれています。

八幡社の正面

 

 

⑦清音寺(せいおんじ)は曹洞宗の寺院です。

治承3年(1179)、時の太政大臣藤原師長は、平清盛のため尾張国井戸田に流された。師長は村長横江氏の娘を寵愛したが、後に赦されて都に帰るとき、

形見に守り本尊の薬師如来と白菊の琵琶を残した。しかし、娘は別れを悲しみ、ここで身を投じたといわれいます。

その後、この地を琵琶島と名付け、娘の菩提を弔うためこの寺が建立されました。

清音寺の正面

 

名古屋西区役所では、区内を通る美濃路について、区民の多くの人に知ってもらおうと、美濃路の整備事業を実施しました。

その一環として、街道沿いに案内板が8基設置され、そのうちの1基が今回の散策区間終点付近の枇杷島橋付近に設置されました。

枇杷島橋付近の案内板

 

後公明天皇の慶安年間(1648~1651)、人々が五穀豊穣の祈願をした折に龍神が現れ、国土の鎮護と豊穣をもたらし、人々を苦しみから救った。

中島黒體龍王神社(なかしまこくたいりゅうおうじんじゃ)は、そのご神徳により社が建立されたのが始まりとされています。寛政元年(1789)、当社に大神を祀り、

ご神徳が広く行き渡るように神殿が改修されました。その後、庄内川の河川改修による移転を経て、令和元年に現在の地に再度移転されました。

中島黒體龍王神社の正面

 

以上で、美濃路の一部区間を紹介させていただいましたが、神社仏閣に興味のある方はぜひ、ご自分で散策していただければと思います。

T.I

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